2020.9.1

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メモリーズ ボビンレース

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【memories】記憶に残るレース

 

大事に販売している手刺繍や手編みのレース専用のタグです。

私たちの保管庫には「記憶に残るレース」があります。その中にボビンレースがありました。

 

記憶を思い起こしてみましょう。
もともとボビンレースは、手工業としてヨーロッパ全土で大いに発展していました。

しかし、産業革命により登場した機械製ボビンレースが勢いを増していったことで、 手工ボビンレースは衰退していくことになりました。

現在は、文化保護や趣味でおこなわれるか、あるいは、観光みやげ品の商業生産が生産地を中国などに移したことで、 残ったものばかりになっています。

ヨーロッパ手工レースの参考画像です。

 

 

中国の手工レース

 

1800年代半ばキリスト教の宣教師たちにより中国へ持ち込まれたレースですが、1920年代以降、中国の手工レースはヨーロッパ市場における需要のほとんどを生産したといわれています。

 

歴史ある手工レースの中から今回ご紹介するのは山東省青州のボビンレースです。

 

  • ボビンレースの道具です。
  •  1887年に英国籍の宣教師サミュエル・クーリング夫妻が青州へやって来ました。1900年頃、夫人がイタリアから図案と材料を輸入して、 1908年に夫妻が青州を離れるまでの間に18種類もの技法を伝授したと言われています。
     技法は青州人が持つ独自の知恵とともに吸収、改修を繰り返して、世間のひとが望む工芸美術品へと昇華し、発展しました。 技術は母から娘へ伝え、姉は妹へ教え、友は友への伝承でだんだんと広がり、やがて青州とその周辺地域に於いて一時の隆盛となりました。


 

 

はじめはヤード単位の帯状レースで、それらは衣類の襟や袖、裾部分の装飾用でした。
のちに人々の生活水準が高まるとともに、要求される使用目的の範囲も拡大しドイリー、コースターなどの小さい装飾品ができました。

やがてベッドカバー、シーツ、テーブルクロスなどの大型製品へと広がっていきました。

 

  • ドイツの展示会でのレース編み実演風景です。
  • 手工業職人の中で極めて優秀な人が編み出したレースは国際的にも高い名声を得ます。
    製品はヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど遠くの地へ売られました。

     

    ← 長年お世話になっている工場長が
    海外の展示会で実演を行っていた際の
    写真です。


 

ボビンレースは中国で俗称“撂棒槌(Liào bàngchuí)”と呼ばれています。

出来上がるサイズやデザインにもよりますが、使用するボビンは10本から20本のものから100本を超えるものまであったそうです。

 

カントゥレースのつけ襟をデスクランプのシェードにしました。

中でも代表的なレースはイタリア北部にあるカントゥ(Cantu)という小さな町で盛んに作られていた伝統的なボビンレースが源流のようです。

 

青州のボビンレースは大きく分けて純粋なレースと埋め込み型レースの2種類があります。

 

純粋なレースとは総柄レース製品のこと、糸で精密に編むことだけで形を成しており、同じ模様が連続的に並ぶのでなく 特徴的な図案をモチーフとして優先し、それらを曲線でつないでいくという贅沢な装飾的要素を重視しています。

比較的に空間が多く、そのものが浮き彫りに見えるような効果があります。
総柄のテーブルセンター(約30×45cm)を完成させるためにはおおよそ10日間ほどかかるそうです。

約30×45cmです。

 

総レース用の作業です。

 

 

埋め込み型レースとは基布を伴う半レース製品のことです。麻布にレースの埋め込みと刺繍が施してあり、刺繍職人との分業で仕上げています。

基布と同じ色で統一された刺繍部分は、立体的に隆起し表情も増しています。

半レース用の作業です。

 

レースの埋め込みと刺繍を適所に配置することで、無地部分と共に織りなすコントラストには上品さがあり、あっさりとした 清楚な寝具やテーブルリネンとして人気があります。

半レースのテーブルクロスです。

 

久しぶりに保管庫を覗いてみると 時間をかけて丁寧に作られている品々のすばらしさをあらためて学ぶことができました。

宝物はまだまだありそうです。

 

ボビンレースの品々はこちら↓↓

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